なおきの思い出話しのページ



Part II

 しゃぶしゃぶ肉

 よく、ドイツ語圏の食事はまずいと言われますが、向こうにだって美味しいものはあります。たとえばシャケ。シャケは日本の冬の味覚として欠かせませんが、ノルウェー産の物は、日本の物の上を行くほど美味しいものです。

 脂の乗りが良くて、よく寿司をにぎりました。週に何度か中央市場まで足を運び、良いのがあると買い込んで、ついでに頭を貰ってきて北海ナベ。

 最初の頃は、頭はただでくれたのに、どうやら日本人はこれで美味しいものを作るらしいと気が付いてからは、随分と高い値段が付くようになりました。ウィーンのナッシュマルクトへ行くと、肉屋さんには日本語で「スキヤキ」などと書かれて、薄切り肉が売られています。

 薄いとは言ってもいいところハムくらい。ショウガ焼きにしかならない程度のしろものですが、これは技術の問題です。そこで僕は、自分が住んでいた家の近くの肉屋にお願いして、数キロの単位で買うことを条件に一度肉を凍らせてからスライスするやりかたを教えました。

 実に見事な出来栄えで、これに「しゃぶしゃぶ」の名を命名しました。この店には、噂を聞いた日本人が随分と遠くから買いに来るようになりましたが、当の肉屋はいつも「こんなに薄っぺらな肉のどこがうまいんだ? 肉は厚切りにかぎる」 

 そこで、あるとき、「しゃぶしゃぶ」をご馳走してあげることにしました。今でも、その時のことを言う友人がいます。「いやーびっくりしたよ。みんなで食事をしていたらさぁ、突然白いエプロンをした肉屋の兄ちゃんが入ってくるんだもん.....」

97.9

パントマイム

 料理留学はウィーンに住んでいた頃の話。最初に留学したのはストュットゥガルトというドイツの町です。僕の場合計画的な留学ではなかったので、まったくドイツ語を勉強せずに突然行ってしまいました。

 はい(ja)といいえ(nein)だけは覚えましたが、あとはまったく。最初に泊まったホテルで、世話をしてくれるはずだった人と連絡がとれなくてヒマだった2日間、ルームメイドのおばさん相手に単語を覚えました。

 今と変わらず、ドイツの住宅事情はとても悪く、部屋をさがすのは一苦労です。それでも住む家も何とか決まり、生活に必要なものを買って来るわけですが、ホテルなどとは違い、町の中の一般的なお店では英語も通じません。

 ドイツは英語が使えるとよく言われますが、当てにしないほうが無難。外人を見かけると英語で喋りかけても、いざ本気で英語を話すと「他の人を探して」と逃げてしまうのです。そんなわけで、最低限のドイツ語だけでも覚えておかないとかなり苦労します。

 どのように苦労するかって? ドイツで習った先生に言われたこと「あなたはパントマイムを習いに来たのでしょう......」

97.11

入学試験

 留学の話が続いたついでに、入試の思い出話。ストュットゥガルトは僕が行った当時はほとんど日本人はいなくて、何をするにも自分でしなければ出来ないというところでした。町自体はとても明るく、ベンツとポルシェの町と言えば、それだけでドイツの中でも特に裕福なところであることが想像出来るでしょう。

 あまり知られていませんが、ストュットゥガルトのバレエは世界的にトップを争う素晴らしいものです。これを数えきれないほどの回数見ることが出来たのは幸せでした。そのストュットゥガルトにある国立の芸大を受験したときの話です。

 入試では語学力と演奏の2つがパスしないといけないのですが、いいかげんなもので、語学力については演奏の試験の際に先生が質問することに答えればよいというもの。とはいえ、僕のようにまったく勉強もせずに国立の大学を受験しようという人間がいるのだから何が起こるか分からない。

 確か10人ほどの受験生がいたけれども(募集は1人)僕の2人程前にやはり日本人がいました。彼女の大失敗は、しかし、日本人には笑えないものです。先生が「あなたは試験の曲目にスカルラッティを選んだのですね?」と尋ねたとき、よく聞き取れていなかったんですね。ではそれを弾いてください「Bitte.Spielen Sie!」と言われて「何調のですか?」

 今度は先生のほうが「?」。書類を見て「D-Dur」。そこで、彼女はスカルラッティではなくスケールを弾き始めてしまったのです。先生もさぞやびっくりしたことでしょう。その後の僕の順番では何事もなく、めでたく入学出来ました。今でも思い出すのは、その学校のコンサートホールに置いてあるピアノ。素晴らしくよい物でした。

 と、総てが順調そうに見えますが、実はその前に大ポカをして笑われています。入試の申込書と共に履歴を出さなくてはならないのですが、ドイツ語で履歴のことを Lebenslauf といいます。うろ覚えで書いてはいけない。書類を提出したときの受付の女の子の顔! 僕は履歴書の頭に Liebenslauf と書いていたのですね...... (Lieben=愛。つまり「愛の遍歴」)

97.11

どこへ行っても「なおき節」

 演奏と関係なく外国の町を歩いていると、何か日本人て肩身が狭いような気がするのです。自分のひがみ目かな、と思ったりしたことも有るのですが、どうも違うようです。語学的な面で、相手の国の人にも「話しかけづらい」印象を与えているように思えます。

 音楽は、そこへいくと万国共通の言葉です。ひとたび舞台へ上がれば、間違いなくこちらの気持ちが伝わります。そして、こちらの思いを、強烈に相手へ伝えられたときには、向こうから押し寄せてきます。

 イタリアなどでは、ほんとうに何を言っているのか分からない人達が、興奮して楽屋まで来て、それでも音楽家には通じるだろうと、楽語(ほとんどの音楽用語はイタリア語)をずらぁ〜っとならべて「表情が豊かだ」「エネルギッシュだ」...... と、どうやら感動したことを伝えてくれる。もちろん身振りだけで十分通じているのだけれども。

 普通、言葉が通じないのに意気投合したりして、などというとき「今度来るときには、言葉を覚えてくるからね」なんて、やっと英語で伝えたり、ということが多いですが、ポルトガルへ行ったときのこと。とても嬉しかったことが有りました。

 コンクールだったので、世界中から人が集まっていましたが、1次予選、2次予選、と進むうちに、僕の弾くときには地元の人がウワーっと聞きに来るようになったのです。本選の後、地元の若い人達に囲まれて、まったく言葉が通じないのだけれども、皆と夜中の3時くらいまでディスコで遊びました。別れるときに「今度あなたが来るまでに、日本語を勉強しておくからね!」 こんなに嬉しいことってなかなかないですよね......

98.6

懺悔

 ある時、パリに住んでいる友人がウィーンに電話をかけてきました。近々結婚をする、ということで、それはめでたい。それはともかく、パリではなくてウィーンで結婚式をしたいのだけれども、ウィーンの教会はウィーンに住んでいない人でも受け付けてくれるかどうか、確かめてくれないか。

 その女の子は声楽を専攻していて、まぁとても元気が良く明るい人です。ま、僕なんかで役に立つならということで、さっそく出かけていきました。オーストリーの教会の中心的な業務はすべてシュテファン寺院らしいと言う情報が有ったので、まず、シュテファン教会に行きました。

 ところが、ウィーンへ行ったことのある人ならお分かりでしょうが、かなり大きな教会なのです。正面の入り口を入ったけれども、どこに、そういったことを聞ける事務所が有るのか分からない。そこで、絵はがきを売っているおばさんに「教会のことで話のできる人は何処に行ったらいるか?」と訊ねました。ここが失敗の始まり。

 おばさんはとっても親切に、右側の中ほどにある扉の場所を教えてくれた。目立たない場所で、なるほど、神父さんはこういうところにいるんだとなんとなく納得して、中に入っていったら...... 教会の中よりさらに暗くて、なんだかよく見えない。

 と、中から「あなたはドイツ語を話せますか?」と声が聞こえたので「Ja!」 受付とも思えないような窓が有って、たしかに神父さんがいる。その四角い窓、高くもなく低くもなく中途半端で話しづらい。

 「実は、僕の友達の女の子がパリから来て、ここで結婚式を挙げたいと言っている。相手もパリに住んでいてウィーンには関係がない。彼らは結婚式を挙げることが出来るのだろうか」と、事の次第を尋ねてみた。神父さん、まじめな、低い声で「式というのは大事なことでは有りません。書類が整うかどうかなのです。それまでは、あなたは自分の主張を通すことが出来ます」 「?」

 なんか、話が違うほうへ進んできた。それにしても、小さな窓ごしで話しづらい。ゆかに膝をついているとちょうど良い高さ...... ハタとその部屋が何であるのかが分かった。懺悔室!そうなんです。その神父さん、実は、三角関係で悩んでいる日本の青年を励ましていたようなのです。

 「違うよ、僕は、彼女に結婚してもらいたいんだよ」なんていっても、何しろ懺悔室。「ここでは本当の気持ちを話していいんですよ」...... 30分以上に及ぶ大奮闘の末、やっと尋ねたいことを理解してもらい、結局、ウィーンでは無理なことが分かった。それにしても、なんで僕が懺悔しなきゃならないの? その後しばらく立ち上がれないほど、膝が痛かったです.....

98.6


naoki's photo tanto