ショパンよりティトゥスへの手紙 1829年10月3日
ひょっとして、僕には不幸なことかもしれないが、自分の理想の人がいるのだ。
彼女とはまだ言葉を交わしたことはないが、この六ヶ月の間忠実に仕えてきた。
彼女のことを夢み、彼女への思い出にと、僕は協奏曲のアダージォを書いた。
また、今朝は、彼女からの霊感を受けて、小さなワルツを書いたが、それを君に送るよ。
×印をつけた所に注意してくれ。
このことは、君以外の誰も知らない。
この曲を君に弾いてあげられたら、どんなにか楽しいだろう。
死後に出版されたワルツ 作品七十の三
ショパンよりヒラーへの手紙 1833年6月20日
僕はペンが何を書きなぐっているかも分からずに書いています。
というのは、今リストが僕の練習曲を弾いていて、まともに考えることができないからです。
彼から練習曲の弾き方を盗みたいです。
エチュード 作品25の10
ダグー伯爵夫人に献呈される
(リストの愛人)
ショパンよりティトゥスへの手紙 1829年4月17日
僕はよく昼と夜、夜と昼を取り違えることがあるのだ。
よく夢の中で暮らしていて、昼間うつらうつらしているが、
それは眠っているより悪いんだ。
僕のことを愛していてほしい。頼むよ。
ショパンの作品批評 レルシュタープ筆
指をゆがめてしまった人は、これらの練習曲を練習すれば直せるだろう。
だが、そうでない人は、少なくとも外科医をそばに待らせないで、こんな曲は弾くべきではない。
ショパンの雑記帳より 1830年9月6日
シュトゥットガルト。奇妙なことだ!
僕が横たわろうとしているこのベッドは、多分死にひんした人が一人ならず使ったものだろうが、
今日そう考えても不快にはならない。
多分一人ならず何人かの死者が横たわり、そして、長い間だったのだろうか。
だが、屍は僕よりくだらないだろうか?
屍も、父や母、姉妹、ティトゥスについて何も知らない。
屍にはもう恋人もいない!
自分の周囲の人に、自分の言葉で話すことも出来ない。屍も僕のように青ざめている。
僕と同じように冷たく、すべてに無関心だ。
屍は生きることを止めたが、僕も、もう充分に生きてきた。 充分に?
屍は充分に生き永らえたのだろうか?
もし人生にもう飽き飽きしていたのなら、屍は幸せそうに見えるだろうに。
だが、惨めそうなのだ。
人生は人の顏かたち、顏の表情、顔つきに、そんなに大きな影響があるのだろうか?
我々を貪り食い骸と化すだけのこのような惨めな人生を、なぜ我々は永らえるのか!
シュトゥトガルトのあちこちの塔の時計が、真夜中の時を告げている。
ああ!
この瞬間にどれ程多くの人が屍になっただろうか?
子供達は母を失い、母親達は子供を失う。
どれ程多くの計画が無に帰し、どれ程の悲しみが、この深淵から沸き起こり、
そして、どれ程の慰めも!
どれほど多くの不誠実な保民官と抑圧された人々が、骸と化したことか!
悪人も善人も屍になる。美徳も悪徳も同じものになるのだ。
死ぬと皆、兄弟になるのだ。
父上! 母上! 姉上と妹よ!
僕の一番愛する皆さんはどこにおいでですか?
ひよっとして亡くなられた?
ロシア人達が僕に邪悪ないたずらをしかけたのだろうか。
ああ、待ってくれ!
待ってくれ、、、、、、 涙か?
どんなにも長い間、涙が流れなかったことだろう。
どうしてなのか?
だがしかし、こんなにも長い間、涙の渇いた悲しみが僕をしっかり捕えていたのだ。
僕はずいぶん長いこと泣けなかった。
この気持ちはどういうことなんだろうか!
良い気持ちなんだが、悲しいのだ。
悲しいのはよくないが、しかも快いんだ!
不思議な状態だ!
独りだ!
独りっきりだ。
ああ、僕の惨めさはとても言葉では言い尽くせない!
郊外は撃破され、焼け落ちてしまった。囚われているマルツェリが見える。
あの勇敢なソヴィンスキは、ロシア野郎の手に落ちてしまったか。
ああ、神よ。あなたはおられるのか?
そうだ、あなたはおいでだが、復讐はなさらない!
ロシア人の罪悪はまだ不足なんですか?
それとも、それとも、あなたご自身がロシア人なのですか?
哀れな父上!
正直者の父上はもしかすると飢えているのでは。
母上のためにパンを買ってやることもできないのでは。
姉上や妹は、情欲に荒れ狂うロシア野郎の餌食になったかもしれない。
ああ、ポヴォンスキの墓地よ。彼らは彼女の墓を侵さなかっただろうか?
彼女の墓は踏みつけられ、何千もの死骸がその上に積み上げられる。
彼らは町を焼き払った!
ああ!
なぜ僕は、たった一人のロシア人さえも殺せなかったのか!
ああ、
ティトゥス! ティトゥス!
彼女はどうなったのだろうか?彼女はどこにいる?
哀れな娘よ。ロシア人が彼女をぎゅっと掴み、
彼女の首を締め、殺そうとしている!
ああ、いとしい人!
僕はここにいる、、、、、 一人で。
僕のそばにおいで。
君の涙を拭いてあげよう。
昔の思い出で、君の傷を癒してあげよう。
君にはお母さまがいる? 僕の母は、とても良い母だった。
でも、もう多分いないだろう。
恐らくロシア人が彼女を殺してしまった。
僕の姉妹は気も狂わんばかりになっても、彼らには屈しない。
父上は絶望し、途方に暮れている。倒れた母上を抱き上げるのを助ける人が誰もいないのだ。
僕はここで何もしないでいる。
から手で!
ただ、時々呻き声をあげ、ピアノに向かって悲しみをぶちまけ、絶望しているだけだ。
僕にそれ以上何が出来ようか?
ああ、神よ! 神よ!
大地を揺り動かし、今の世の人々を地中に呑み込ませて下さい。
我々を助けに来てくれなかったフランス人に、最も過酷な苦痛を与えて下さるように!
マリアよりショパンへの手紙 1835年10月3日
土曜日は、あなたがお発ちになった後、私達は皆悲しい気持ちで目に涙をいっぱいためて、つい先程までご一緒していた客間を歩き回っていました。
母は悲しみに沈みながら「四人目の息子のフレデリック」のちょっとした癖をたえず私達に思い出させるのでした。
フェリックスはとってもがっかりしてしまい、カジミールはいつものように冗談を言おうとしても、あの日はうまくいきませんでした。半泣きの道化だったからですもの。
私達の話はあなたのことばかりでした。
フェリックスは、私に、あのワルツを弾くようにとひっきりなしにせがみました。
私は弾いて楽しみ、皆は聴いて楽しみました。あの曲が、お発ちになられたばかりのお兄さまのことを私達に思い出させてくれるのですもの。
シューマンの手紙 1836年9月14日(ハインリッヒ・ドルン)
我々は一緒にすばらしい一日を過ごしました。
ショパンは新作のバラードを私に弾いてくれました。この曲は、彼の作品の中でも最も霊感に満ちていると私には思われます。
「あなたの全作品の中で、これが一番好きだ」と、私は彼に言いました。
長い間考え込んでから、彼は大変語調を強めて、
「それはうれしい。私もあの曲が好きです」と、言っていました。
ショパンの手紙(家族へ) 1829年8月26日
僕達のプラハ訪問は電光石火のようでしたが、有効に時を過ごしました。
ハンカ氏はプラハ博物館訪問者の芳名録に記入するよう僕達に求めました。
僕達はめいめい、詩か散文を書くことになったのです。
こんな時、音楽家はどうしたらよいのでしょうか。
幸いマテェヨフスキが、マズルカに四行詩を書き添えることを思い付いたのです。
僕は音楽を書き、わが詩人と共に正にユニークな記帳をしたわけです。
ハンカ氏は喜んでいました。このマズルカは、スラブ研究分野での彼の功績を称えて、特に彼のために書いたのです。
ショパンの手紙(家族へ) 1829年8月26日
僕はしょっちゅううわの空になるのです。
プラハ出発の日など、トイレからボタンをちゃんと掛けないで出てきて、誰かよその人の部屋に入ってしまったんです。
その部屋の客に
「おはよう」
と、陽気に声をかけられた時には、僕はもう部屋の真ん中にいました。
「失礼しました」
と言って、僕はあわてて飛び出しました。
僕の部屋とあの部屋はほとんど同じで、区別がつかないんですよ。
ショパンからティトゥスへの手紙 1829年8月26日
僕はあまりに静かに弾くというのが、一般の意見だ。
ウィーンのピアニスト達のバンバンと叩くような演奏に慣れている人達には、むしろ繊細すぎるんだ。
ベートーヴェンのパトロンのリヒノフスキ伯が、演奏会のために、彼のピアノを提供しようと申し出てくれたが、大変な好意だ。僕の音があまりに弱かったと彼には思われたからなのだ。
だが、あれが僕の弾き方なんだ。そして、この弾き方がまた、ご婦人方には大変受けるんだ。
特に、ブラエートカ嬢にね。
彼女はウィーンの一流のピアニストだが、僕がとても気に入ったらしく、ウィーンを発つとき、
記念に彼女の署名入りの自作を贈ってくれた。 注目!
彼女はまだ二十前で、聡明で美しくもある。
ショパンからティトゥスへの手紙 1830年6月5日
君はゾンタークの演奏会を五回聴きのがしてしまった!
もし君が十三日に着けばまだ聴けるのだが。
彼女に親しく会えてどんなにうれしかったか、君には想像できまい。
彼女の部屋でソファーに彼女と並んで座ったんだ。
ワルシャワの賛美者達の中には彼女のことを「天の使い」と、言う人もいて、その通りだが、この「天の使い」とは、誰もがあまり親しくなれるわけではないのだ。
ゾンターク嬢は美人ではないが、最高に魅力的なんだ。
彼女はメルカダンテのアリアをとても、とても魅力的に歌った。
彼女は夜の盛装よりも、朝の洋服姿の方が百万倍も美しく魅力的だ。
ショパンからマリアのお母さんへの手紙 1836年11月1日
この手紙が重くなるといけませんから、今回はわが秘書の君には何もお送りしません。
冬の初めに楽譜と一緒にお便りを差し上げましょう。
私は奥様を尊敬しておりますし、嘘はついておりません。
室内ばきのことはかたときも忘れませんし、黄昏時のことを思いながらピアノを弾いております。
ヴォジンスキ様にくれぐれもよろしくお伝え下さい。
わが秘書の君にも、忘れずに私に手紙を書いて下さいって。
言葉では言い表せないほどうれしいとお伝え下さい。
メンデルスゾーンが彼の母へ宛てた手紙 1834年5月23日
ショパンは今や最高のピアニストの一人です。
彼はヴァイオリンのパガニーニのように、新しい効果を生みだし、可能だとは思われないようなことをやってのけます。
レルシュタープの批評
耳をつんざくような不協和音、無理な移行部、耳障りな転調、
旋律とリズムの醜悪な歪曲を探求することでは、不撓不屈である。
異様な独創の効果を生み出すために考えられる一切のものが、かき集められる。とりわけ、奇妙な調、和音の最も不自然な位置、指使いについては最もひねくれた組み合わせが、用いられている。
両親とともに、姉のルドヴィカへ宛てた手紙 1835年8月16日
これは、あなた方が始めて受け取る父上と僕の二人が書いた手紙です。
僕たちの喜びは、とても言葉では言い表せません。
僕たちはお互いに抱き合ってはまた抱き合います。それ以上何が出きるでしょうか。
神様は僕達に何て慈悲深かったのでしょう。
まともには書けないです。
今日は何も考えようとしないで、自分たちに与えられた幸福に浸っている方がよさそうです。
この幸福を僕は待ちに待っていたのですが、
この幸福が、
この幸福がいま実現したのです!
僕は嬉しくて、あなたがたと義兄さん達、この世で一番親愛なる人達に、息の根を止めるほど接吻します。
新聞批評「ルヴェ・エ・ガゼット・ミュジカル・ド・パリ」1848年2月20日
(ショパン自身によりバルカローレが初演された)
空気の精は約束を守った。
しかも、何という成功、何という熱狂だったろう!
この地上では比べるものとて無い、彼の演奏の数々の神秘をここに記するより、彼が受けた歓迎や彼が引き起こした熱狂を述べるほうがまだしも容易である。
エチュード、プレリュード、マズルカ、ワルツ、すべて、これら大小の傑作がどんな風に表現されたかは問わないでほしい。
ただ、その魅力は一瞬たりとも聴衆への働きかけを断ったことはなく、演奏終了後もまだ続いていたことだけは言っておこう。
ソナタ第二番への批評等
「これは音楽ではない」(シューマン)
「ぼくはここで変ロ短調の『ソナタ』を書いているが、これにはきみの知っている葬送行進曲がはいるだろう。
まずアレグロがあり、それから変ホ短調のスケルツォがきて、行進曲となり、それから、僕の書き方で書いて三ページほどの短いフィナーレがつく。左手と右手がユニゾンでしゃべりあうのだ。」
(ショパンからフォンタナに宛てた手紙)
「あらゆる苦悩のこめられた崇高な歌。苦しみあえぐ世界の絶望的な賛歌」(ガンシュ)
「ショパンがこの曲を演奏することをことわったことは一度もないが、しかし彼は、その最後の小節を弾き終わるやいなや、帽子をとって出ていくのだった。」(ルグーヴェ)
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