《ロマン派は名曲の宝庫》


  《ロマン派の夜明け》
シューベルト:軍隊行進曲
シューベルト:野ばら
シューベルト:楽興の時

  《ロマン派はオペラの時代!》
モーツァルト:『魔笛』より「俺は鳥刺し」
ウェーバー:『魔弾の射手』より「狩人の合唱」
ヴェルディ:『アイーダ』より「凱旋の行進」
レハール:『メリー・ウィドゥ』より「ヴィリアの歌」
ビゼー:『カルメン』より抜粋

          -休憩-

  《ロマン派が花咲く時》
チャイコフスキー:『四季』より「舟歌(6月)」
ドヴォルザーク:ユモレスク
ブラームス:ワルツ
シューマン:『子供の情景』よりトロイメライ
メンデルスゾーン:『無言歌』より「春の歌」
                「紡ぎ歌」
リスト:愛の夢 第3番
リスト:『メフィストワルツ』

学校用の場合は⇒

  《ロマン派の名曲》
シューベルト:軍隊行進曲
シューベルト:野ばら
シューベルト:楽興の時
モーツァルト:『魔笛』より「俺は鳥刺し」
ウェーバー:『魔弾の射手』より「狩人の合唱」
ヴェルディ:『アイーダ』より「凱旋の行進」
ドヴォルザーク:ユモレスク
リスト:愛の夢 第3番
リスト:『メフィストワルツ』





《パンフレット用に》

《ロマン派の超名曲に浸る一夜》

~面白トークで「え!なるほど!」あの有名な曲がさらに身近に~


 今回は《ロマン派》をとことん楽しむコンサートです。ロマン派とは、文学と音楽の融合。恋愛や人の喜び悲しみを詩的な表現方法で音楽に反映させた芸術です。この時代の音楽には音楽家のロマンがぎっしりと詰まっているのです。

《文学と音楽が交わる時》

~音楽が自己の表現として語り始めた時代~

 ロマン派とはラテン語圏主体の芸術からの脱却です。文学的な要素を全面に取り入れた音楽で、ゲーテ、ハイネらのドイツ文学、詩から受けた影響が大きいのです。また、周辺諸国への民族主義としても影響を及ぼしました。規模の大きなオペラなど、誇大な表現も特徴と言えます






《解説ノート》

ロマン派の時代背景

 社会的な基盤、民衆の意識、産業の発達。時代は近代へと進みつつあった。音楽も例外ではない。この時代、進歩的なものと保守的なもの、など様々な分野で2局化が進む。メンデルスゾーン、シューマンなどのような小曲が愛好され、一方ではワーグナー、マーラーなどの膨大化が進む。ほんの一握りの人にしか理解されないような専門的で高踏的な曲と、誰にでもすぐに口ずさめるような娯楽的なもの。国民主義と不偏的音楽。表題音楽と絶対音楽。すべてにおいて伝統と革新のはげしく入り交じった時代である。



産業革命

1769年にイギリスで起こった産業革命は、あらゆる分野に影響を及ぼした。新しい技術の開発合戦は、進歩的な思想と保守的な思想の対立を産み出した。まず、それまでの「一部の強力な支配層によってすべてが統一され指導される」社会構造が崩れてきた。つまり、宮廷や貴族、または教会などが主導権を握ってきた時代が終わる。このことは1776年のアメリカ独立、1789年のフランス革命などによりヨーロッパの全土へその波紋を広げることになる。
それまで、政治、経済、芸術など全ての分野が一元的に管理されていたものが、全ての階層において自由主義が普及。全ての分野において自己の権利と独自性を主張する動きが高まり、進歩的な考えと保守的な人間があらゆる場面で衝突した。
また、産業革命は実質的に資本主義を産み出したが、この反動として社会主義を発展させたことも重要な時代背景となる。

芸術創作意義の変化

十九世紀において見逃してはならないものの一つに自然科学の発達があげられる。それ以前の学問と言えば、たとえば時代の最先端を行くべき医学などでさえも、迷信や宗教的、または魔術的な要素さえも含んでいたが、科学的な理論と観察、情報の蓄積と分析などの高度な発展に伴い、近代的な学問へと変化を遂げた。これらは実証主義と言われる進歩的な思想を育てたが、それに伴い文学、美術、音楽などの芸術の分野でも様々な変化が起こる。
その中の一つとして、宗教などでの儀式としての音楽、教会での道義として用いられた宗教画等が減少。また、権力誇示のための式典などに用いられた宮廷御用達の音楽(戴冠式などの式典音楽や、舞踏会用の舞曲)などの用途や目的の限られていた芸術が、職業的にも階層的にも完全に自由となった。
それらに伴い、芸術家の求めるものも多技に渡るようになり、聴衆を限定しない、より自由な表現方法の探求へと進むのである。

国民主義と個人主義

ヨーロッパ各国における国家統一の気運。国力伸張の要請は、国民主義を著しく発展させることとなる。
国民主義的思想は、まず、母国語の尊重という形で現れる。古典派までの時期、音楽において標準的な言語はイタリア語=ラテン語であり、それらを軸にオペラを始めとする舞台芸術は出来ていた。ここに「疾風怒涛」の運動と共に、まず文学の分野から自国語による芸術の表現が試みられ始め、次第に音楽と文学の結び付きなどから(歌曲、オペラ、表題音楽などにおける母国語尊重の気風から)音による国民性の表現へと発展していく。これがロマン派の音楽の一番大きな特徴と言える。
また、自由主義により自己の権利や独自性の強調を推し進めた結果として極端な個性尊重的な思想が生まれ、名技、幻想性など個人主義的な音楽が著しく発達した。ヴィルトゥオーソと呼ばれる技巧的な演奏家が多く出現したのもこの時期である(パガニーニやリストなどに代表される)

ロマンティックな時代 . . . . .

実は、ロマン派を時代分けするにあたっては2つの意見が対立している。ひとつは、古典派からロマン派までをひっくるめて一つの時代と考える方法で、ウィーンにおけるモーツァルトからベートーヴェンなどをもロマン派の音楽へ(バロックやロココから)移行する時代としてしまうもの。たしかに、古典派もロマン派も表現方法の違いこそ有れ、形式感に関しては統一されたものがある。
しかし、シュレーゲル等によって主張されているロマン主義の芸術理論では「ロマン主義文芸の使命は、文芸全ての分離したジャンルを再び結び付け、文芸を哲学および修辞学と接触させる」とあり、究極にはワーグナーによる総合芸術論に発展する。
そのような意味や芸術内容または、人々の生活状態などから、一般的には1810年頃を境に、音楽としてのロマンティックな時代が幕開けになると時代の分類がなされている。



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